瀬戸内寂聴さんが死去
作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが死去したことが11日、関係者の取材で分かった。99歳。
不倫の末の作家人生
最初の不倫
東京女子大学在学中の、21歳の時、お見合いを経て結婚しました。翌年の1945年には長女を出産、その後旦那様に同行し、北京にわたります。しかし帰国した1946年、彼女は旦那様の教え子と恋に落ちて、長女を残し家を出てしまいます。
離婚後、作家として活動
しかしその教え子ともうまくいかず、正式な離婚後、瀬戸内さんは東京で本格的に小説家を目指し始めました。まずは「少女世界」に少女小説が掲載されると、「少女世界社」、「ひまわり社」、「講談社」、「小学館」で小説や童話を書くようになりました。
子宮作家というレッテル
処女作「痛い靴」を発表し、同じ年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞するなど、同人作家としてもスキルを積んでいた瀬戸内さんでしたが、ここで思わぬ風評にさらされることになります。受賞後一作目の「花芯」で、批評家から「子宮作家」というレッテルを貼られてしまってのです。
「花芯」がポルノ小説だという批判だけでなく、「花芯」の中に、たびたび子宮という言葉が出てきたことが理由でした。その後は数年間文芸雑誌から声がかからなかったといいます。
二度目の不倫
その時期、瀬戸内さんはまた恋に落ちて、不倫関係を持っていました。その、自分の恋愛体験を書いたものが、「夏の終わり」という作品です。これは2013年に映画化もされた。人気作家となり、1992年には、「花に問え」という一遍上人を書いた作品で、谷崎潤一郎賞を受賞。
本当の恋愛の醍醐味は不倫
1973年、瀬戸内さんは天台宗にて出家をしています。最初は修道女になりたかったようですが、自分の過去を顧みて、断念したといいます。1987年には、天台寺住職となり、尼僧としてその名を世に知らしめました。
麻薬で逮捕された荻原健一さんと積極的に交流を図り、更生に尽くしたり、死刑判決を受けた方々と文通をするなど、悩んでいる多くの方々に手を差し伸べています。特に死刑囚にも人権があることを、強く示しました。
「本当の恋愛の醍醐味は不倫だ」という瀬戸内寂聴さん。その発言を一概には良し、という方ばかりではないと思いますが、彼女の波乱に満ちた人生から、不倫は大きな人生の岐路であったと読み取れます。人それぞれ、でいいのかな、と思わせてくれますね。