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志村けんさんへのコメント | 加藤茶、仲本工事、高木ブー「日本の宝を奪ったコロナが憎いです」 | 柄本明は「話せる様子じゃない」 | 優香「一生の宝物」 | 磯山さやか「教わったことは宝物」 | 野呂佳代「日本一のコント師から、お笑いを学ぶことができて、お芝居を学ぶことができて。本当感謝しています。」 | 板野友美「デートしたことをずっと忘れません」 | オコエ「とても悲しい」 | ダルビッシュ「信じられない」

加藤茶、仲本工事、高木ブー「日本の宝を奪ったコロナが憎いです」

加藤はショックを隠せなかった。「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」と胸中を吐露、「皆さんも身近に感じて、気を付けてくださるようお願い致します」とファンに呼び掛けた。

また、仲本は「ドリフも順番に逝く歳になったとは思ったけど、一番若い志村が長さんの次になるとは、…。非常に悔しいです」。高木は「志村早すぎるよ、俺より先に逝くなんて」とし「3年前に、久しぶりにドリフでコントやった時、『高木さんも80歳過ぎて、頑張ってるんだから、自分も頑張らなきゃなぁ』って言ってたよね。また一緒にコントやりたかったのに」と明かし、最年少の志村の死に無念さを漂わせた。

ザ・ドリフターズのメンバー5人のうち、最年長だったいかりや長介さんは04年3月に死去したが、グループは解散せずにそれぞれで活動を続けてきた。解散しない理由はメンバー同士の強い絆があったからだという。仲本は18年の日刊スポーツのインタビューで「解散なんて考えたことない。メンバーの年齢差があるら、みんな自分の役割を分かっている。それが長続きの秘訣(ひけつ)」と語っていた。

柄本明は「話せる様子じゃない」

親交のあった柄本明(71)はコメントを出せる状況にないという。

関係者によると、「同じ年だけど、志村さんを尊敬していた。落ち込んでしまって、何か話せる様子じゃない」という。

柄本は33年前、TBS系「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」に志村の指名で出演。最初は設定だけのアドリブで、「地獄だった」と振り返ったこともあったが、その後は息ぴったりの関係となり、芸者コントなどを生み出した。

優香「一生の宝物」

「いまだに信じられず、どう言葉にしていいかわかりません」と思いを表現し、「あんなに元気な方なのだから、また日本中を笑いで元気にしてくださるだろうと祈っていたし、必ずお戻りになると信じていました。とてもとても悲しいです」。

数多くのコントでお茶の間に笑いを届けた。「高校生の時から、志村さんと長年コントをご一緒させていただいて、楽しい思い出ばかりです。一生の宝物です。コントしている時の、うれしそうに楽しそうにしている志村さんの姿が今でも思い浮かびます」とふり返り、「1つのことを継続し続けている姿を目の前で見られたこと、コントの面白さを教えてくださったこと、たくさん感謝しても仕切れません。志村さん、ありがとうございました。心よりご冥福お祈りいたします」とした。

磯山さやか「教わったことは宝物」

「信じられません。持ち前のパワーで回復して、いつもの元気な姿でまたお会いできると、当然のように思っていました。まさかの出来事に、気持ちの整理がついていない状況です」と思いを吐露。続けて「私は志村さんと出会い、コントの世界を知る事ができました。常に見ている方を、笑わせたい、笑顔にさせたいという姿勢。コントに対して真っ直ぐな姿、格好良かったです。伝えきれないほど、教わった事は一生の宝物です」と感謝した。最後に「志村さんには本当に感謝してもしきれないほど、色々な事やご縁を与えていただき、その恩返しを、これからもしていきたかったです。早すぎます。悲しいです。志村さん、本当にありがとうございました」と悼んだ。

野呂佳代「日本一のコント師から、お笑いを学ぶことができて、お芝居を学ぶことができて。本当感謝しています。」

「朝速報で知ってから随分時間がたってしまいました。なんか言葉にしたかったけれど、出来なくて、ニュースでいろいろな人がコメントしてて、それをずっと聞いて今に至ります」と思いをつづった。

「あの人とお仕事してみたい! これに出たい! って幼少期から思っていたものは、ほとんど達成できた気がします。その中のひとつ。第1位だと思うけどバカ殿に出ること」と憧れだったという。当時、志村さんやダチョウ倶楽部の上島竜兵、小林恵美によるラジオ番組に出演した際、「変なおじさん」のコスプレをして出演したことから、志村さんの番組に呼ばれるようになったという。

志村さんからは「コントは喜劇なんだ」と学んだという。「私が初めてバカ殿の収録に参加して、うれしくてニコニコ浮かれてやっていたら、その日のお食事会深夜3時 ひっそり 教えていただいたことです。コント、お芝居。ちゃんと計算された笑いと、アドリブ。これは、志村けんさんに直接教えていただけたことは、本当に本当に一生大事経験です」と明かした。

最後に会ったのは、1月中旬に楽屋が隣同士だった時だったといい「ニコッと笑ってあいさつしてくださった笑顔が、なんとも言えない、すてきな笑顔で忘れられませんでした。志村さんがどんなお洋服で、どんな座り方で、どんな角度で、どんな笑顔で私に笑ってあいさつしてくれたのかを、なんだかはっきり覚えています。残念ながら、その姿が、私にとって最後の志村さんとの対面になってしまいました」。また、「日本一のコント師から、お笑いを学ぶことができて、お芝居を学ぶことができて。本当感謝しています。私は運が良かったと改めて思いました。ありがとうございました。(中略)志村師匠へ すっごく残念だけど、どうか安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。

板野友美「デートしたことをずっと忘れません」

元AKB48板野友美(28)もインスタグラムで、バカ殿に扮(ふん)する志村さんと人力車に乗るツーショットをアップし「まだ信じられません。志村さんには、バカ殿で始まりたくさんのお仕事でお世話になりました。お笑いの難しさや面白さも教えていただき、挑戦する機会も与えてくださいました。バカ殿様で。殿と浅草デートしたことをずっと忘れません。いつも若々しく、気さくに話してくれる志村さんが大好きです」とつづった。

オコエ「とても悲しい」

東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉外野手(志村さんと同じ東京・東村山市出身。自身のツイッターで)「志村けんさん本当に速報が流れてきた時は言葉が出なかった…東村山で生まれ、小さい頃からもちろん影響を受けて育ってきた。それだけにとても悲しいです…これを機に改めてコロナには気をつけなければいけないと思った。ご冥福をお祈りします」

ダルビッシュ「信じられない」

カブス・ダルビッシュ有投手「信じられない。ご冥福をお祈りします」

渡辺直美「愛にあふれた志村さん」

「子供の頃から憧れている志村さんとコントをご一緒出来て本当に光栄です。こんな若手の私にもいつも優しくしてくださりありがとうございます。愛にあふれたカッコいい志村さんが大好きです」とコメントした。

志村さん麻酔で睡眠「それから意識なかった」

志村さんは今月17日に倦怠(けんたい)感があったため自宅静養に入った。19日に発熱と呼吸困難の症状が出て、20日に訪問診察を受けた。医師の判断で東京・港区内の病院に搬送され、重度の肺炎と診断されてそのまま入院した。その後、23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明し、24日に新宿区内の国立国際医療研究センターに転院して治療を続けていた。同院では、新型コロナウイルス重症者の治療に効果が期待される体外式膜型人工心肺(ECMO=エクモ)を使用しているとみられていた。事務所関係者によると、志村さんは21日に人工呼吸器をつける際、麻酔で眠ったが「それから意識はなかった」と明かした。今後、遺族と相談しながらお別れの会などの開催について検討するという。

事務所関係者によると、志村さんは今年1月に定期健診で胃のポリープが発見され摘出手術のために6日ほど入院していた。また、愛煙家として知られ、関係者によると多い時には1日60本吸っていたが、「16年に肺炎で入院した以降は禁煙していた」。一方で、飲酒は続けており「毎晩のように飲んでいた」というが、関係者は「基本的に通院するような持病もなく体調は良かった」と話した。

志村さんはTBS系「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで地元の「東村山音頭」を歌ったことでブレーク。加藤茶(77)とのコンビの「ヒゲダンス」などが大流行し、国民的な人気となった。俳優としても活躍し、30日放送開始のNHK連続テレビ小説「エール」、年末には初主演映画「キネマの神様」への出演が予定されていた。日本中を笑いと感動に包んだスターがまた1人、旅立った。

志村けんさん永遠に